若貴時代を懐かしみたい!!
そんな方にお勧めの記事を書いてみました。
相撲フィーバーは、私の中の青春です。
今から30数年前・・・
大相撲界に、突如現れた2人
若花田と貴花田の若貴兄弟!!
彼らの出現は、昔からの相撲ファンだけでなく、これまで相撲に関心のなかった人、特に若い女性をも夢中にさせました。
一体、彼らの何が、人々を魅了させたのでしょうか。
私が相撲の世界に魅力を感じたエピソードと一緒にご紹介させていただきます。
若乃花・貴ノ花【大相撲界の最強兄弟】2人の似ていない強さと魅力は?世間が注目した彼らは、どんな力士だったのか?
大相撲の世界では、人気力士の息子が各界入りをするケースはそれほど珍しくはありません。
そのため、テレビやメディアで取り上げられることはあっても、そこまで話題になることはなかったと思います。
(私の個人的な印象です)
しかし、この若乃花、貴乃花兄弟だけは違っていました!!
叔父は“土俵の鬼“と呼ばれた、第45代横綱・若乃花。第44代横綱・栃錦と、栃若時代を築きました。
また、父は“各界のプリンス“と呼ばれ、絶大な人気を誇った元大関・貴ノ花です。
偉大な叔父と父の血を受け継ぐプリンスとして、入門前から注目されることは彼らの宿命でした。
連日のようにマスコミに追いかけられ、2世力士としてプレッシャーが掛かる中、若い兄弟は周囲の期待に応えるように出世をしていきました。
特に、弟の貴乃花は、史上最年少での幕内昇進、幕内優勝など、次々と最年少記録を更新していきました。
さて、そんな世間を魅了させた2人はどんな力士だったのでしょうか?
若乃花と貴乃花の若貴兄弟のプロフィール情報をご紹介したいと思います。
若乃花(若花田)最強兄弟の力士プロフィール情報
まずは、兄、若乃花のプロフィールからご紹介します。
四股名・・・若乃花 勝
(わかのはな まさる)
最高位・・・第66代横綱
現在の番付・・・引退
(2021年3月場所時点)
所属部屋・・藤島部屋→二子山部屋
本名 ・・・花田 勝
出身地・・・東京都杉並区
生年月日・・1971年1月20日( 50歳)
※2021年3月現在
身長・・・180㎝
体重・・・105㎏(現役中は133kg)
初土俵・・・1988年3月場所
新入幕・・・1990年9月場所
貴乃花(貴花田)最強兄弟の力士プロフィール情報
続いて、弟の貴乃花のプロフィールをご紹介します。
四股名・・・貴乃花 光司
(たかのはな こうじ)
最高位・・・第65代横綱
現在の番付・・・引退
(2021年3月場所時点)
所属部屋・・藤島部屋→二子山部屋
本名 ・・・花田 光司
出身地・・・東京都杉並区
生年月日・・1972年8月12日( 48歳)
※2021年3月現在
身長・・・185㎝
体重・・・73㎏(現役中は161kg)
初土俵・・・1988年3月場所
新入幕・・・1990年5月
若乃花と貴乃花の兄弟は、2歳違いなんですね。
そして、兄弟揃って最強の横綱!!
いくら名門のプリンスとはいえ・・・
横綱にまでのぼりつめるのは、相当な努力がなければできません。
大相撲の世界に恵まれた環境だったとしても、兄弟で横綱になれるとは・・・
本当にすごいことだと個人的に、今でも感じています。
兄・若乃花より、弟・貴乃花の方が体格が良く、体重差は30kg。
身長も貴乃花の方が5cmほど高いようです。
この体格の違いも、取り口の違いとして楽しませて頂きました。
この後は、若貴の最強兄弟の魅力についてご説明します。
若乃花と貴乃花!最強の兄弟力士の似ていない強さはどこ?懐かしい写真もご紹介
兄弟最強力士
若貴兄弟!!!
二人には、それぞれに、違った強さの秘密がありました。
さて、それは・・・?!
私の個人的な意見や感想を書いてみようと思います。
兄・若乃花は、決して体格に恵まれていたとはいえませんでした。
力で立ち向かうのは小兵力士としては難しいものでした。
そこで若乃花が見出したのは技術力です。
一方、弟の貴乃花は、重心が低く、腰が重い。
どんな相手でも一歩も引かず、真っ向から勝負する力士。
兄弟でこんなに違った攻め方をしていました。
若乃花と貴乃花、最強兄弟力士の懐かしい写真
今回は、この大相撲の書籍から懐かしい若乃花と貴乃花の伝説兄弟を懐かしみたいと思います。
若乃花・貴ノ花【大相撲界の最強兄弟】兄・若花田の強さとは?
明るくて人懐っこい性格の、兄の若乃花。
弟を守るため、高校を中退し、弟の中学卒業を待って、弟と共に入門した優しい若乃花。
現役を引退した今でも“お兄ちゃん“の愛称で親しまれています。
最年少記録を次々と更新し、連日マスコミに追われる弟。
寡黙であまり表に出たがらない貴乃花の代わりに、マスコミ対応をかって出たのがお兄ちゃんでした。
そんなお兄ちゃんの優しさに守られ、着実に番付を上げていく弟・貴乃花。
史上最年少で十両に昇進し、一足先に“関取“となった弟・貴乃花を、さらにマスコミは追いかけ、ブームは過熱していきます。
昔、私が読んだ本に、こんなエピソードが載っていました。
ある日、若貴兄弟と師匠、それから女将さんの4人で食事をした時のこと。
一足先に関取に昇進した弟・貴乃花を若乃花は「貴関」と呼んだそうです。
すると、父である師匠が言ったそうです。
「勝。今日は家族で食事をしている。家族で過ごしている時はお前は光司の兄。だから、貴関ではなく、名前で呼びなさい」
兄弟であろうと、関取になれば立場は上になります。
相撲界はそれだけ厳しい世界。
個人的な意見ですが、師匠と弟子という関係でありながら、プライベートでは父として、兄の立場を守る、親の思いやりを感じる素敵なエピソードだと思いました。。
若乃花は、様々なプレッシャーを跳ね除け、弟を追いかけるように十両に昇進!!
体重130kgという、力士にしては小さかった若乃花。
そこで身につけたのが技術力でした。
強靭かつ巧みな足捌きを生かし、多彩な技を繰り出していきました。
珍しい技を見せることも多かったようで、相手力士に対する分析力も凄かったようです。
確かに、若乃花の相撲解説は分かりやすいですよね。
私も聞いていて感動してます。
小兵ながら、横綱まで上り詰めた若乃花。
そこには対戦相手を徹底的に分析する“分析力“と確かな“技術力“がありました。
若乃花・貴ノ花【大相撲界の最強兄弟】弟・貴花田の強さとは?
中学卒業と同時に、兄・若乃花と共に、父である師匠のもとに入門した貴乃花。
新弟子検査の時、幕下でも通用するくらい身体の基礎が既に出来上がっていたといいます。
各界のプリンスという話題性に加え、おまけになかなかのイケメン。
加えて、数々の最年少記録を更新していきます。
貴乃花(貴花田)の最年少記録の数々をご紹介
・最年少幕下優勝(16歳9ヶ月)
・最年少十両昇進(17歳2ヶ月)
・最年少入幕(17歳8ヶ月)
・最年少三勝受賞(18歳7ヶ月)
・最年少金賞(18歳9ヶ月)
・最年少小結(18歳10ヶ月)
・最年少関脇(19歳0ヶ月)
・最年少幕内優勝(19歳5ヶ月)
・最年少大関(20歳5ヶ月)
・最年少全勝優勝(22歳1ヶ月)
あまりの出世の早さに、髪が伸びるのが追いつかず、十両昇進では大銀杏が結えず、ちょんまげで土俵にあがっています。
輝かしい私の記録ですが、実は幕下まではそんなに強い力士ではなく、兄の若乃花よりも2場所遅かったといいます。
ですから、幕下に上がってから、快進撃が始まったようです!!
兄の若乃花とは正反対で、多くを語らない寡黙なイメージだった貴乃花。
しかし、土俵をおりれば普通の10代の若者。
兄の若乃花や、気心の知れた部屋の力士と談笑している姿を報じられることもあり、そのギャップに益々女性ファンが増えていったのはいうまでもありません。
周囲の騒ぎには目も暮れず、ひたすら稽古に打ち込み、力をつけていった貴乃花。
体格にも恵まれ、どんな相手にも真っ向からぶつかっていきました。
特に個人的に印象に残る取組が、2001年の5月場所。
全勝で迎えた武双山との対戦で右膝を強打し、関節が外れてしまったそうです。
翌朝、病院で痛み止めを打ってもらい出場。
通常の5倍の痛み止めを打ってもらったそうです。
優勝決定戦で、蹲踞(そんきょ)をした時に再び関節が外れ、棄権もよぎったが、ぐるぐると足を回しているうちに外れた関節が元に戻ったようです。
その場所で貴乃花は優勝しています。
表彰式で、小泉元総理が「痛みに耐えてよく頑張った。感動した!おめでとう!」と賛辞を
述べています。
しかし、結果的にその後7場所連続休場することとなり、引退へと追い込まれてしまいました。
また、力だけでなく、技も必要な幻の技と言われる「呼び戻し」という技も決めています。
滅多に決まらない、珍しい大技なんだそうです。
そして、貴重な一戦と言えば、若貴兄弟対決でしょう!!!
平成7年九州場所
千秋楽ではともに12勝3敗で並び、史上初の兄弟による優勝決定戦がとり行われました。
立ち合いから低い姿勢の若乃花が頭をつけ、土俵際まで押し込んだ。
しかし、貴乃花も態勢を立て直す。
左上手を取った若乃花が再び寄ると貴乃花はあっけなく膝から崩れ落ちた。
決まり手は下手投げ。
若乃花の2度目の優勝となった。
その時の瞬間最高視聴率は、なんと58%超え!!
私も当時は大興奮で手に汗を握る状態でしたが、それだけ国民の関心が高かったのでしょう。
大相撲界を沸かせた伝説の最強兄弟力士
若乃花と貴乃花!!
戦い方は違えど、2人の活躍は当時の相撲ファンを魅了したことには間違いないでしょう。
私もその中の一人です。
(ライター:あんさん)